director's voice

凪ぐ浜に小骨を拾いて

数日、更新が止まってしまいました。
作家の方 ほぼ全員からメールをいただいていて、そこからご紹介して行こうと思いながら、
どうしても進めなくなってしまっていました。

ひとつは、送ってくださった内容が、とても近い方が多かったこと。
・全国からお客様がいらしている中でも、予想以上に市川のお客様が多くて、
地元に愛されている展覧会なのだと感じた。
・ギャラリーオーナーやバイヤーさんたちが多く、次へのステップの可能性が増えた。
そして、主催者、スタッフ、庭人さん、風人さんへの謝辞をたくさん。。。
それはとてもうれしく、ありがたいメッセージなのですけれど、
これらばかりを書くと、なんだか自画自賛!ブログになってしまって、
それが本位ではないなぁという思い。

そんな中に、 読みながら心がざらついてしまうようなメールも届きました。
言葉の使い方は人それぞれなので、そこの部分で過剰反応しないように
時間を置いてみようと。
すると、やはり見えてきたこと、気づいてきたことがあったのでした。

「『工房からの風』は回も重ね、お客様もすばらしい。
けれど、工芸や自分の仕事に理解や容認のある人ばかりの中だけで認められて、
そこで安住していていいのだろうか?」

私なりに要約するとこのようなことでしょうか。
私や「工房からの風」に向けて書かれてある実際の言葉は、
心に小骨のように刺さりましたが、意味としては、まっとうな感覚です。
特にファンのような方が生まれてくると、ありがたいと同時に、
ファンの方だけに評価されていてよいいのだろうか、という迷いや、
それに応えるような作品作りの枠が生まれてしまって、
それが自分の創作を縛ってしまうように感じることもあるのかもしれません。

企画者としては、出展作家の仕事をより理解して、支持してくださる方に
集っていただこうと心を砕きます。
初めて出展する方は、どうしてこんなにいいお客様ばかりなのだろう!
と感激してくださいます。
それもこの場にギャラリーが生まれて25年が経ち、
工房からの風も11回を重ねたひとつの成果と思いますが、
そのことがある種の作家に迷いを与えているというのは、新しい気づきでもありました。

嵐の後の凪ぐ浜には、宝物が光っている。
この会を通して、そんな風に思うようになりました。
その宝物とは、キラキラと輝く宝石のようなものばかりではなく、
時には、触れると痛い小骨のようなものもあるのですね。
けれど、それこそがほんものだなぁ、と今は思います。
ほんわか穏やかな空気感の中で、精一杯作る力を高めようとしている人がいる。
いろんな会があるのが素敵だと思うのですが、
楽しかったー!や、いい思い出になったー!というだけよりは、
出展作家にとっては、なかなか骨のある!?展開になっているのも
ここならではなのかなと思います。

:::

その後、その作家の方とはお互い真摯に!丁寧に!やりとりをさせていただくことができて、
お互いの言葉足らずの後ろにある大切なものを一層育める気持ちでいます。
そんなことも、裏?凪ぐ浜の宝もの、なのかもしれません。